【豊岡市】植村直己冒険館のナイトミュージアムツアーへ

どんぐりbaseに戻ると「ナイトミュージアムツアー参加の方、お集りくださーい」という呼びかけが聞こえた。
そういえば、プランにそんなの入っていたな。
急いで駆けつけてすでにできていた人の輪に入って行った。

参加者たちに配られたカード。
ここにシールを貼っていくらしい。

昼間は清々しく美しかった壁面が夜はすごい威圧感。
透明なトンネルが北極に続いて行くような、そんな視覚効果。
植村直己さんの冒険の記憶に降りて行くみたいな感覚を覚えた。

兵庫県出身の偉人、植村直己さん。
私は小学校の授業で映画を見た(1980年代)から知っているけど、現在の、豊岡市以外の兵庫県民の認知度はどうなんだろう。
肌感覚ではあまり知られていないような気がする。

植村直己さんが見たであろう世界の再現。
本物にははるかに及ばないけど、想像力を働かせるきっかけとしては十分。
見渡す限りの雪、吹雪の音、肌を切り裂くような冷気、果てしない自由という孤独。
私からすれば拷問としか思えないような時間を植村さんはどんな気持ちで乗り越えたのだろう。

植村さんは犬ぞりも利用していて、とても犬たちをかわいがっていて、犬たちのために靴下を編んであげたりしていたそう。
でも、持っていた数日分の食料を食い散らかされて絶望的になったこともあったとか。

館内には植村さんが背負っていたという荷物入りのリュック(再現)が置いてあって、自由に背負えるようになっていた。
ダンナさんがチャレンジして「重っ!」とつぶやいていた。

きっと当時では最先端だったであろうグッズや道具たち。
現在の感覚ではちょっと心もとないというか、改めて「よう行ったなぁ!」と驚愕だわ。
服やリュックが赤色なのは、雪と氷の世界で目立つように、ってことかな?

「本当に行って伝える」ことしかできなかった時代。
「冒険」の価値が今よりずっと高かったのではないだろうか。
それに「敗戦の記憶」もまだ色濃かったから、日の丸に対する思いも今よりはるかに重かっただろう。
「日本初」「世界初」の偉業を何度も成功させた植村さん。
世界のどこの情報もスマホで瞬時に見ることができる今、もう一度スポットを当てるべき人だと思った。

30分ほどでツアーは終了。
展示資料の紹介文を読み込む時間はなかったけど、とても印象深い経験ができてよかった。

植村さんは1984年にマッキンリー単独登頂の成功を無線で伝えた直後、消息不明となった。
その解説を聞いてから娘はずっと「植村さん、まだ見つからないのかな?」と心配して、何度も何度も私に聞いてきた。

どんぐりbaseの煌々と輝く電灯に心の底からホッとする。
私に南極は、ムリだ、絶対。

外側の「屋外キャンプ組」の方たちはたき火を囲んでいて、ロマンティックな景色だった。